ぱっしょんと〜ぶろぐ

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【あの頃の8000系】その② 2004年の本線系統

大分時間が空いてしまいましたが、かつての8000系の組成の記録の第2回をご紹介します。
今回は2004年の本線の様子です。

2004年の本線の8000系はというと…

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2004年1月7日に撮影したブツ6編成です。下り方は8547Fでした。
当時は伊勢崎準急もまだ平然と1時間に1本走っている時期、上り方の8556Fは検査明けだったのかピカピカなのが伺えます。


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当時未修繕だった81119Fと8580Fの連結面です。未修繕車の2連は多く在籍したものの、4連は数少ない存在でした。
81119Fは西新井工場が閉鎖された2004年9月に館林津覇で修繕工事を受け、東上線のワンマン区間で使用されるようになりました。8580Fは2008年1月に廃車回送されています。



2004年1月16日に見られた81113Fと8138Fの連結面です。
バリアフリー修繕車として出場した81113F、それまでは6連単体で使用されていたもののこの時初めて4連を連結して10連として使用されたと記憶しています。
自動放送も機能し、これ以降他の編成を連結して朝晩の準急、区間準急で使用されるようになりました。


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8538Fが下り方に出たブツ6編成です。
朝方には数少ないながら北越谷行きの普通列車が運行されていました。


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8573Fが下り方に出ているブツ6編成です。
8573Fは結果として最後まで本線に所属していた編成で、12次車でドア窓がアルミ枠が露出しない後期車ながらLED修繕という唯一の存在でした。


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未修繕の8578Fが上り方に出たブツ6編成です。
ブツ6組成の編成は連結される車両に制約はなかった(ワンマン車は除く)ので、比較的コンスタントに組成変えが行われていました。


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竹ノ塚行の普通列車として運行されている8123F+8517Fの6連です。
「竹ノ塚ローカル」運用は当時は存在しておらず、朝晩にのみ見られる運用でした。
半直で現役だった31*07Fが並走して追い抜いていきました。


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こちらも同じく竹ノ塚行の8144Fと8549Fの6連。
並走してきた8576Fの組成は記録していませんでしたので一覧表には記載していません。


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8572Fが先頭の準急南栗橋行き、上り方は8573Fのブツ6でした。
8572Fは2006年3月に館林津覇で修繕工事を受け、館林地区へ転属しました。


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8116Fと8514Fの6連、伊勢崎行の準急です。
初期車同士の組成も日常的にみることができました。



8130Fと8579Fの6連です。
この当時、本線に在籍する初期修繕車は8217F、8130F、8509F、8516Fの4編成が在籍していました。

2004年の8000系の組成記録

そんなわけで、2004年の1年間で組成していた編成を一覧にまとめました。
先の記事と同様、全てではなく沿線で撮影していた写真をもとに抽出したものです。
ブツ6の間に挟まる編成や、一部不明な編成もあるのでその点はご容赦ください。

次回は2005年以降の組成をご紹介したいと思います。