ぱっしょんと〜ぶろぐ

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銚子電鉄 2006年のお正月のようす

新年あけましておめでとうございます。

年明け恒例の大師線の記事は後日にまわすとして、2006年のお正月に撮影した銚子電鉄をご紹介します。久しぶりの地方の中小私鉄ネタです。
銚子電鉄では、正月限定で定期列車では運行されない3両編成が運行されるとあって、初日の出を見つつそれも見ようと犬吠埼へ眠い目をこすり終夜運転の列車で目指したのでした。
(この年、残念ながら初日の出は見られなかったので、別の年の初日の出の写真で埋め合わせを…)

銚子電鉄の車両たち

この当時の銚子電鉄の車両は、300形、700形、800形、1000形の4種類の車両が在籍していました。
1000形を除くと骨董級の車両ばかりでしたので、まずはそれらをご紹介します。

〇300形(デハ301)
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鶴見線の前身である元鶴見臨港鉄道のモハ100形の譲渡車、いわゆる「買収国電」の残党の一つでした。
2006年当時、特にこのモハ100形は銚子と静岡鉄道にしか現存しておらず貴重な存在であったものの、静岡は2007年に、銚子は2009年に廃車されてしまいました。

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廃車と言いつつ、2006年時点でも既に運用からは外れており、事業用車として使用されていました。
これ以前から架線点検用として屋根上に木製の点検台を載せているのが特徴です。
解体される直前は2000形の導入の際の場所確保のため、仲ノ町から外川に移動し留置されていました。


〇700形(デハ701・702)
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近江鉄道のモハ51・52(もっと辿ると電動貨車であるデユワ101、102として郵便、荷物輸送のほか機関車代用として使用していました)を譲り受けた車両です。銚子電鉄には1978年に譲渡され、当時唯一総括制御の出来る形式です。


〇800形(デハ801)
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伊予鉄道のモハ106(←クハ405)を1985年に譲り受けた車両です。
車両の出自は1950年に郡中線電化時に製造された車両で、1952年に電装化されたものでした。


〇1000形(デハ1001・1002)
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営団2000形を譲り受けた車両で、デハ1001は2046の車体に2033の運転台を、デハ1002は2040の車体に2039の運転台を取り付けたものです。(うち2046のみ銀座線、それ以外は丸ノ内支線用)
営団2000形と言えば主に日立電鉄に譲渡されるものがほとんどでしたが、計画見直しに伴い余剰となった車両が銚子にやってきたそうです。

改造は京王重機が担当しており、パンタグラフと電動機は営団3000系から、空気圧縮機とMG、車内部品は営団1500N形から、台車は富士急行の5700系(元小田急2200形)のFS316台車を履いており、当時の高性能車のキメラともいえる車両でした。
(ちなみに日立電鉄へ譲渡された車両は営団3000系から台車とパンタグラフを譲り受け改造されています)

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なお、700形、800形は伊予鉄道から譲り受けた2000形(元700系←京王2010系)に置き換えられる形で2010年9月に引退、700形はポッポの丘で現在は静態保存されており、800形は廃車された今も外川駅に留置されており、車内を見学できるようです。
1000形も伊予鉄道から譲り受けた3000形(元800系←京王5000系)に置換らえれ、デハ1001は東松戸の昭和の杜博物館に、デハ1002は事業用としてデハ301同様架線点検用の点検台を載せ事業用として現存しているようです。

2006年のお正月のようす

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車両の紹介の前置きが長くなりましたが、お正月の運行についてです。
現在の銚電の車両は全列車が2両編成になってしまったのですが、当時は2両で運行できるのは700形のみで、それ以外は単行による運行でした。
列車は2列車が運行されており、笠上黒生で交換するダイヤで運行されていました。

しかし、正月となれば犬吠埼に向かう多客に対応すべく日中帯も基本的には2両編成で運転されており、加えて大晦日~元旦にかけても終夜運転が行われていました。

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終夜運転の際は、総武本線の列車(特に首都圏からの臨時特急や快速)と連絡するかたちで1列車がピストン運行されていました。
とは言え、4~10両編成で運行されているJRからの乗客を銚電で捌ききれないことから3両編成を仕立てた走っていたものの、車内は寿司詰めの混雑だった記憶があります。
なお、3両編成が一気に力行すると変電所のしゃ断器が飛ぶようで、終夜運転の際には車内が停電で真っ暗になるのが何回かありました。
2両編成で運行する日中帯は力行するタイミングをずらすことで回避していたようですが、3両編成の場合はどうにもできなかったのでしょうか、後にも先にも運行中に停電になるのはこの時の経験しかありません。
(写真は2010年に運行された3両編成の様子です、年によってはやったりやらなかったりでしたが、これ年以降は3両編成はやらなくなってしまったようです)

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この年はデハ1001が仲ノ町で日中帯は留置、デハ1002とデハ801、デハ701と702がペアで運行されていました。
終夜運転の際にはデハ701、702、1000形の3両編成が運行されていました。700形同士は重連総括が可能ですが、1000形とは総括運転ができないことから、運転士が2名乗務し警笛で合図を取り、タイミングを合わせて力行やブレーキを操作しながら運行されていました。
(3両編成の時は単行×3だと運転士が3名必要となるので、かならず700形+単行の組み合わせでした)


夕刻となると客足も減ってきたのか、単行運転に移行するための車両交換が始まりました。

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まずは銚子からやってきた犬吠行きの2両編成、デハ1001へお客さんを移し、デハ801を切り離します。
デハ801は本線を逆走して入庫します。

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すると、留置されていたしていたデハ1001のパンタが上がり、あれよあれよと側線に入り、デハ801は車庫の奥へ。

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そのうちに、後続の700形の2両編成の銚子行きが犬吠からやってきました。この列車も単行に車両交換をします。
仲ノ町駅はホームも1面しかなく、切り離した状態での3両分の縦列停車もできないことから、700形の後ろにデハ1001を連結し銚子駅まで1往復、その後仲ノ町で700形を解放する方法がとられ、1区間のみですが3両編成が見られました。


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ちなみに1000形は営団時代にトムリンソン式の連結器でしたが、銚子電鉄の既存車両は自連。
まさかのアダプターを装着した状態で使用していました。


ちょうどこの頃、銚子電鉄では前社長の横領が発覚し、お金が無い!と騒ぎになり始めてきた時期でした。
とは言え、まだ「以前の銚子電鉄」の色が物濃く残っており、ゴリラをモチーフにしたキャラクターの「アルカッポレ君」がまだ車両に描かれており、各駅も朽ちたバブルの香りが色濃く残っていた時期でしたが、これ以降車両の検査費用が無い、保線の費用が無いと大騒ぎになり、車両も桃鉄ラッピングになったりと趣味的には面白味が無くなってきてしまったので足が遠のいてしまったのは事実です。

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一つ心残りなのは、1000形が元銀座線、丸ノ内線塗装になった時にもう少し撮っておけばよかったと今更ながらに公開しています。記録はお早めに。

そんなわけで、今年は大師線にHMのない少し寂しい新年でしたので、ちょっと昔のお正月を振り返ってみました。
また銚子にも遊びに行ける日が来ることを祈りつつ、2021年もよろしくお願いします。