ぱっしょんと〜ぶろぐ

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【5000系列の晩年】第2回 館林エリアの5050型と疎開編成について(おまけつき)

前回、新栃木所属の5050系をご紹介しましたが、今回は館林地区の5050系や、廃車疎開の車両をご紹介します。
2000年初頭の5000系ですが、1997年の5501F、5502F休車を皮切りに休車、廃車が始まりました。
5101F、5171F~73Fが1999年に休車、その後2001年に廃車となっています。


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その後、2001年3月28日のダイヤ改正以降、新栃木エリアでは普通列車6050系化に伴い、ダブルパンタの2連である5556F~5560Fが、館林エリアでは通勤車化された1800系(1811F~13F)の登場に伴い、5102F、5152F、5159Fが休車となり、館林駅横の留置線に疎開され、その後、2003年10月頃までに廃車回送されています。


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2006年3月18日のダイヤ改正をもって、館林エリアのワンマン化拡大に伴い、800・850系により置き換えられます。
一方で、2005年10月には5552Fが栗車管を検査出場していたり、8564Fが追加で改造されたりと、バタバタした様子も見て取れました。

館林エリアで活躍していた5050系

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2003 年3月ダイヤ改正でワンマン化された小泉線の太田~東小泉間を除き、吊り掛け5050型が活躍していました。
一方で、2001年からは1800系の通勤改造車の登場し、小泉線や佐野線で使用されていました。

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(2003年3月 館林駅にて)
なお、この時に運用離脱した5102Fが館林駅横の留置線に疎開されていました。
5000型はMc-T-M-Tcの組成となっており、異端児の存在でもありましたが、5101Fは1997年に、5501F、5502Fも早々に休車、廃車となっていましたが、最後まで残っていた5102Fは館林駅横の留置線に疎開されていました。
あわせて、ダブルパンタの5560Fをはじめとした栃木エリアで運用離脱していた編成も疎開されていました。
なお、この間、2003~2004年頃にかけ、野田線の5070型が相次いで廃車されています。これらは館林駅横の留置線に疎開されず、直に渡瀬に回送されていたようです。


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2005年4月の館林、半直運行開始に伴いGWに運行されていたフラワーエクスプレスで訪れた館林にて。


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葛生にて、吊り掛けサウンドを唸らせながら佐野線の勾配を登っていく5050型はなかなか見ごたえのあるシーンでした。


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その後、2006年3月ダイヤ改正から小泉線のほか、桐生、佐野、伊勢崎の各線でもワンマン運転開始、5050型は撤退します。

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館林駅横に留置されていた新栃木の5050型が渡瀬送りになったかと思えば、別の5050型が補充されるような状態でした。
写真は2007年3月に撮影した渡瀬の様子で、EDに並んで栃木エリアのダブルパンタ編成であった5560Fのほか、多数の5050型が留置されています。
なぜか5560Fは解体されずEDと比較的最後まで残っていましたが、結果としては解体されてしまいました。この頃はまだ手前の敷地も荒れ地でした。

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最終的には2007年6月に最後の一陣となった編成が4連×3編成の12連で渡瀬送りとなり、館林エリアの5050型は鬼籍入りとなりました。

(おまけ)5070型の晩年

2004年10月に廃車となった5070型ですが、2002年頃に検査期限を迎え西新井工場に入場しました。

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モニ1473により押し込まれる5182F、編成を半分に分割し押し込まれます。

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ここでは2002年9月に入場した5182Fを取り上げますが、この時は廃車時期が見えていたことから、車体は塗装を行わず、下回りの再塗装をした状態出場しました。結果として最後まで残った5180~82Fは、車体は色あせた状態となり晩年まで使用されていました。


そんなわけで、2002~07年頃にかけての5000系列の動きをまとめました。
なかなか足が遠のいていてしっかり記録できていなかったのと、資料も疎い中でまとめましたので、何か間違い等ありましたらお知らせください。
もう17年も前のことなのですね…ついこのあいだのことだと思っていたのですが…。